Shigeru Nishikawa

Copyright(c) Shigeru Nishikawa

Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

under construction or destruction 2020 Tokyo

2012年11月、東京国立競技場のリニューアルにあたり、建築家ザハ・ハディド氏のデザインが国際コンペにて最優秀賞を受賞。彼女は新国立競技場のデザイン監修者となり、実施案として提出したデザインは、当初の伸びやかで独創的なデザインとはかけ離れたものであったが、コストが計画予算のほぼ二倍に当たる2520億円に及び、様々な意見が飛び交う中、2015年7月、建築家ザハ・ハディド氏のデザインは白紙に。紆余曲折を経て、新たに建築家に指名された隈研吾氏による新国立競技場が完成し、2019年12月21日一般に公開されるに至る。

2020年4月現在、中国に端を発した新型コロナウィルス禍の影響は世界中に拡大し、日本においても誰も想像だにしていなかったオリンピックの延期や大都市封鎖ともいえる事態にまで発展した。パンデミック終息の見通しが未だたたない中、万が一オリンピックが中止にでもなれば、新国立競技場の建設目的や競技場の存在理由すらも、当初のザハ・ハディドのデザインと同じく白紙に戻ってしまいかねない。

私が近年、絵画のモチーフとして描いているのは、建設中或いは解体中の、シートで覆われたある種宙吊り状態の建物である。かつてそこにあった建物は、シートに覆われ、そのシートの下で解体され、一旦更地となり、新たに建設途中の構造体がシートに覆われて再び姿を現わす。特に明治以降の日本の大都市空間においては、こういった建設と解体が、延々と繰り返されて現在の都市を形成してきた。それは新しい建物の始まりであり、かつてそこにあった建物の終わりでもある。そして覆われたシート(薄い膜)は、かつての場所の忘却と、新たな記憶の狭間を意味することになる。人々がこれから何を捨て、何を忘れ、何を見て、何を求めていくのか。描かれた仮囲いのその向こうには、変わりゆく風景の移ろい、世情の変容があり、今が更新され未来が続いていく。

ところで、Sealed Houseを描き始めた当初、各タブローの背景には主題となる建物の周囲の風景をまず描き、その後その風景をあえて白く塗りつぶした上に、シートで覆われた建物を描いていた。コンセプトは、建物の更新が同時にその場所や風景を、一度更地(白紙)に戻すことであった。

今回発表するメイン作品「Sealed House -New National Stadium-」は、先に記した白紙に戻されたザハ・ハディド氏による想像上の新国立競技場のデザインを背景に、新たに建設され今後日本の一つのアイコンになるであろう現実の新国立競技場の建設途上を描いたものである。

それを描こうとしたのは、まさにこの現実と想像上の二つの国立競技場の姿が、新たに生まれ(亡くなり)記憶に刻まれ(忘却され)る我々の存在そのものの象徴となることに気づいたからである。

二つの国立競技場は、私がこの5、6年続けてきたシリーズの中心のコンセプトに最もふさわしいモチーフであることを、そして自身の画家としてのアイデンティティに、深く突き刺さるモチーフであることを、今更ながらに確信している。

文:西川茂 2020年4月