Shigeru Nishikawa

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Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

西川茂の絵画 その抽象表現に見る生々流転

国立国際美術館 学芸課長  中井康之

西川が現在取り組んでいる絵画は、自身も語るように、都市空間の中に突如として現れる布状のシートに覆われた、建設中の(或いは解体中の)建築物の様態をひとつの霊感源として生み出されている。建築物をしっかりと覆うために組まれた枠組みは、そのシートを物理的に支えている訳であるが、その2者の関係は、絵画の木枠と布地のカンヴァスのアナロジーとして西川は捉えているであろう。そのことは、その布状のシートに表された、荒々しい筆触による抽象的油彩表現によって明らかである。要するに、西川は、モダニズムの絵画が辿ってきた還元主義的な方向性を単純になぞるという方法ではなく、我々の日常空間の中に偶発的に生み出される巨大な布地の平面状の空間をカンヴァスに見立て、抽象表現を繰り広げ、一枚のカンヴァス上に表現したのである。抽象表現が展開された布に覆われた建築物のシルエットの背景は、モノクローム乃至はグラテーションによって塗られることによってひとつの絵画として統一感を保つのである。

ところで、建築物を覆うこのシートを、前述したような即物的な意味ではなく、様々な事象のアナロジーとして考えるならば、発生と消滅、あるいは誕生と死滅といった万物の生々流転を表し出す装置として見ることができる。例えば、空虚な土地にある日忽然と現れ出た巨大なシートは建築物の誕生を表し、逆に老朽化していたビルがある時巨大なシートに覆われた時は消滅を意味する。次に気づいた時、その場所は大地に帰しているだろう。或いは、われわれ人類も、母胎から外界に出て、最初に出会うのは産湯かもしれないが、最初の眠りにつくのは何らかの布地に覆われる時とその場所であろう。そしてわれわれがこの世界を認識しなくなる時、場合によっては認識できなくなってから時間が少し経過している時も少なくないかもしれないが、その多くは何らかの布地に覆われ、現世から旅立つのである。

以上を考え合わせてみると、西川が抽象表現を繰り広げている布地という舞台は、我々を取り囲むあらゆる事象の生誕と消滅を象徴的に表し出す装置であり、さらには人類が文化的行動様式を維持していることを証明する道具であることは明らかだろう。要するに、西川が、カンヴァス内の布状の舞台に繰り広げている荒々しい筆触による油彩表現は、混沌とでも称するしかない様々な事象や生きとし生けるものの生死を象徴する迸りのようなものなのである。私は、西川のこの作品シリーズに、そのような死生観を最初に見たのは、その初期作品に寺社を覆うシートを描いた時であったかもしれない。しかしながら、西川はそのような特定のモチーフにこだわることなく、より普遍的な、よりモダンなモチーフを題材にすることによって、その死生観をあらゆる事象に浸透させ、拡散させていくような方法を選択したのである。

ところで、最近の自然科学界は、我々の生息するこの宇宙の生誕と死滅という想像を絶するような巨大なテーマを、扱うようになっているようだが、西川の描き出すカンヴァス内のカンヴァス上の抽象表現は、そのような世界観をも包含するような世界を表し出す場となる可能性を持つものであろう。西川の絵画表現は、美術史的な枠組みや、宗教的教義に捕らわれることのない、新しい学際的な領域を臨む存在となり得る可能性を秘めている。(2017)