Shigeru Nishikawa

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Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

ミッドサマー

個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」展示風景 撮影:鈴木一成

映画「ミッドサマー」を観る。

ヘンリダーガーの世界観のようなビジュアルインパクトが印象的で、予告編を見た瞬間から楽しみにしていた。

こんな状況なので観ることは叶わないかと考えていたが、幸運にも観る機会に恵まれた。

アメリカの健全なコミュニテイにて1年間を過ごした体験から、コミュニテイの持つ、どこか独特の空気感は想像が付くし、これまでの常識とは違う異なる習慣の中で暮らすことは、不安と戸惑いの連続であり、新しい体験の喜びだったことを思い出していた。

しかし、映画で描かれているコミュニテイは、常軌を逸した前近代的な慣習の上に成り立っており、おとぎの国のような衣裳や、天使のような振る舞いからはそのイメージとは程遠い殺意が滲み出ている。

最初から言いようのない不安感が脱ぐいきれず、コミュニテイの祝祭が進めば進むほどにその不安感がジワジワと浸食してくる。

クライマックスでそれまで飛んでいた主人公の視野がグッと定まるのは、絶望の果ての希望なのか何なのか。

強烈な世界観だった。

沈黙の時にも書いたけど、神や信仰や人間の残虐性について考える。

フィクションで描かれたミッドサマーより、史実に基づいた沈黙における拷問の方が執拗で残虐であるという事。

実際に起こり得る現実は想像を軽く超えていく。