Shigeru Nishikawa

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Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

東京2020

ピータードイグとオラファーエリアソンの個展を見るのはまたの機会(まだ見れる機会が続くことに感謝)になるが、今週ようやく東京に行く事となる。

展示が始まるまでも、始まってからも、これまで長い日々が続いていた。

それに比べると今週末の在廊時間はあっという間なのだろう。

けれどもこれほど待ち望んだこともないのかもしれない。

楽しみだ。

そんな思いで色々と準備をしているとクリストが亡くなったとニュースで知る。

Sealed House というシリーズを描き始めた当初から、クリストの事はずっと頭にあったし、作品を見た人から話題に上がることも少なからずあった。

今回展示しているSealed Gateは宮島の大鳥居が覆われている作品だが、クリストのセントラル・パークのThe GatesのプロジェクトはGateを公園中に張り巡らせたプロジェクト。封印と解放。

また今回、初めて自由の女神という銅像が覆われた作品を描いたときは、やはり家とは違い、明確にクリストの梱包が頭に浮かぶ。彼らは実際に覆うことは考えなかったのだろうかなど。。。

言わずと知れたアーティストで、僕自身は彼ら(ジャンヌも含め)のプロジェクトは見たことはなかったが、一度は実際に見てみたいと思っていた。

もう見れないかと思っていたら、今年に実施予定であった凱旋門の梱包プロジェクトは来秋に延期となったとのこと。死後もプロジェクトが継続されることが、二人がこれまで行ってきたことの偉大さを感じさせる。

クリストは美術手帖のインタビューに対して

「2度と見られないことを知っているから、たくさんの人が見に来るのです。プロジェクトは所有できない、買えない、入場料も取らない、すばらしく非合理なものです。ありふれていない、役に立たない(ユースレス)ことこそが、クオリティーを支えているのです」

と語っていたという。

一期一会。

このコロナ禍で「アートが役に立たない」とはよく聞いた話のように思う。

役に立たないとは何だろう。

クリストのいう役に立たないとは純粋に自分たちの為に作っているという意味だろうか。

誰かのためではなくて。

そこにアートの本質の一つがあると思う。自分たちの見たいものを作る。

何かや誰かの役に立たなくても、必要か必要でないかはそれぞれに異なる。

僕は来秋パリに行きたい。