映画「沈黙」を見て、原作も読む。
神とは信仰とは何だろうか。
物語の中で役人達は信徒に対して、建前で踏み絵を踏めという。形式上、手続き上、踏んだという記録があれば、そのまま裏で信仰を続ければ良いからと説得する。
それでも踏まない、信徒たち。
また建前で構わないくらいだと言いながら、役人達はそんな建前の為に信徒たちを殺していく。
傍らでそれでも祈り続けるパードレ。
沈黙を続ける神。
僕は神さまを偶像化する事は出来なくて、神さまは人と自然との関係性だと考えている。
人がコントロール出来ない自然と折り合いを付けるために神さまを必要としたのだと。
八百万の神。
科学の発展に伴い、希薄となってきている関係性。
トンボとヘリコプターを小さく同等に描いていた時もこの関係性を描いていた。
Sealed Houseのシリーズも、都市や郊外で人が繰り返す破壊と創造、その土地や場所との関係性を顕にする試みと言える。
そう思うと僕はずっと神さまを描いているのかもしれないとふと思った。
人と自然との関係性という神さま。
折り合いをつけるということ。