先日、一輪の梅の花が咲いた。
それは毎年三月下旬に満開になる、家の庭に咲く梅の花なのだが(今年は暖冬の影響で中旬には満開に)、四月の終わりになって一輪の花が咲いていた。もうとっくに花を散らせ、新芽が芽吹き、毛虫の季節が来るなと考えていたら、何故か一輪、見事に咲いていた。
また、三年前の個展の時に頂いた蘭の花も、同じく今年再び咲いたのだ。この蘭は小さな流木に根付かせている、インテリアのような欄。頂いた時も可憐な花を咲かせていたが、その後は咲くことはなかった。
それが今年になり、また咲いたのだ。
僕には特別に映るその開花も、梅や蘭にとってはひょっとするとそれほど不思議なことではないのかもしれない。
結局は自然とはまた、日常とはそうしたものだろう。
でも人は特別な開花として彩り、そうした日常を愛でる事が出来る。
学生の頃、先生が「誤解と深読みは美術の面白さの一つだ」と言っていた事を思い出した。
今年の開花は、僕の誤解と深読みによって、彩り、愛でることにより特別な開花しているだけかもしれない。
そして、そうであったとしても良いじゃないか。