Shigeru Nishikawa

Copyright(c) Shigeru Nishikawa

Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

準備

配送の手続きもひと段落。

いつものように筆を握る。

発表がいつになろうと関係なく筆を握る。

展示の期間は1ヶ月あるが、この状況では実際にオープン出来る日は一週間ないかもしれないし、オープン出来ないかもしれない。

仮に1日、オープン出来たならその日に僕の作品を見た人が、来て良かったと思えたならそれで良いと思う。

決して無理して、無理やり開けるのではない。

最終日1日の可能性でも良い。延期になったって、中止になったって仕方がないし、ちゃんと受け入れている。

信頼しているギャラリーがただ1日だけでも開けれるというなら、その日の為にいつも通り最高の準備をする。

だからこそ、またいつでも観せる事は出来る。

だからいつだって準備をする。

更新

いつもと同じように準備を続ける。同じように案内状を書き、残った作品の配送手続きを進める。大きな作品で断られては別の業者にお願いしたりを繰り返す。前回は送れても今回は断られたり。

こんな時期にアート?というかもしれないが、仕事を続けようとしているだけでもある。中小企業や飲食店、色んな業種の人達が何とか仕事を継続しようとするのと同じように、仕事を続ける道をこんな状況でもただ模索している。正解はわからないけど。

「こんな時にアートなんて」とは考えられない。

決して上手く言えないが、

感染を防ぐ上でソーシャルディスタンスは必要なんだと思う。テレワークが可能であれば必要だろう。勿論可能な仕事であれば。

今、必要とされているのは人と距離を取る事。

SNSで面識のない人と繋がり安心感を感じて、身近な家族、友人、知人と実際にあうことに不安を覚える。ひっくり返った世界。

この時期を境にして、何を捨て、その先に何をみて、今後何を求めていくのかが決まってくる。そうして世界は更新していく。

今後更に進むヴァーチャルの世界でも必要な現実が、今決まってくるのだと思う。

この時期にアートが不必要と判断されるなら、この先の未来にも不必要だろう。

大震災や大災害とは状況が違う。

だから、自分の作品で何ができるのかこの状況に抗ってみたい。

DM

昨夕、7都府県に非常事態宣言が出され、今日、五月の個展のDMが届いた。本当に格好良いデザインに仕上がっていて、勇んで皆に配りたいと思うが、現状はそうもいかない。宣言の最中、会期通りに行われるのかも分からない。いつもはDMが届くと純粋な喜びと、いよいよかと気が新たに引き締まる思いがあるが、今年は流石にいつもと違って複雑な思いだ。毎回状況は違うが、人間生きていれば何かしら難しい状況に陥る時はある。そしてそんな事は関係なく発表の予定もある。

そんな時にはいつも初個展の時を思い出す。

初めて個展を開いたときに、尊敬する作家の質問に対して「時間がなかったから」と僕は答えた。その瞬間に酷く怒られた。プロとしてやっていくなら「時間がない」「忙しくて」なんていい訳でしかない。プロなら制作のために時間を作り、納得いくものを見せなければダメだと教えられた。個展とはいえ一人で行うのではない。いわばギャラリーとタッグを組んで展覧会を作っていく。そこで観せるという事には責任がある。

もう、二十年近く前のことだけど、作家としての姿勢がそこで決まった気がする。

同じように状況がどうであれ、展示が中止になろうとそれまでは最高の準備を続けたい。

一期一会

最初に60号Pのプロトタイプを完成させてから、キャンバスのサイズ、比率を変えて120号Mに。フェアの後に個展が続くスケジュールだったので、フェアでは60号の作品を展示して、続く個展では120号をという流れで展示する予定でした。個展のタイトル自体はこれまでと同様の「under construction or destruction 」を考えていましたが、特に今回は新国立競技場を見せる意識が強かったので、2020 Tokyo も付け加える事にしました。東京というタイトルには、これまでも渋谷の駅前のビルを描いたりと、東京という大都市の変容に惹かれていた(作品の題材として)事も関係しています。

フェアにどの作品を持っていくか、個展はどんな展示にするか。展示プランがはっきりと見えてきた中で、日増しにフェアの開催が危うくなってきていた。

自粛、自粛、自粛・・・中止。

無理にでも開催すれば良かったのにとは思わないし、それは中止になった時からそうだった。致し方ない事だと。

でも正直、頭で分かってても気持ちってのはややこしくて、どうしても展示がなくなった事でポカンと穴があく。それは次の個展があるからって埋まるものでもなくて、展示の規模とかも関係ないのかもしれない。来年、同じような機会を得られる保証はどこにも誰にもない。

改めて一期一会なんだと強く思いました。

始まり

そもそもSealedhouse のシリーズの始まりの始まりは、風景の中に佇む建築中の保護シートで覆われた住宅を描き、周りの風景にノイズを描く所から始まりました。

その作品を描いてから丸2年位迷い、悩み、発表自体からも意識的に遠ざかりました。こんな状態で作品を見せると、曖昧なまま色々とごまかして進んでしまうと思ったからです。そうするともう、迷う、悩むどころか戻れなくなってしまう。

2年の間何をしたかというと、一言でいうと整理整頓です。何をどう描くのか。自分が何を描きたいのか。何故それを描きたいのか。どう描いたらそれを伝える事が出来るのか。自分が得意とする描き方はどんな描き方か。などなど。

様々なアプローチを通して整理を終えた当初、各タブローの背景には主題となる建物の周囲の風景をまず描き、その後その風景をあえて白く塗りつぶした上に、シートで覆われた建物を描いていました。コンセプトは、建物の更新が同時にその場所や風景を、一度更地(白紙)に戻すことでした。そこから均一な単色の背景へと変遷していきます。

しかしこの新国立競技場に関しては、ザハ・ハディドのアイデア自体は想像上の、実現する事のなかった建物ですが、ある意味現実にある建物よりも記憶に残るデザインであり、かつストーリーであったように思います。その為、ザハのアイデアを描き、それを白紙にする事なく、その上に建設中の新国立競技場を描こうと思いました。