Shigeru Nishikawa

Copyright(c) Shigeru Nishikawa

Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

梅と蘭

Sealed House 107 oil on canvas 410×320mm 2020

先日、一輪の梅の花が咲いた。

それは毎年三月下旬に満開になる、家の庭に咲く梅の花なのだが(今年は暖冬の影響で中旬には満開に)、四月の終わりになって一輪の花が咲いていた。もうとっくに花を散らせ、新芽が芽吹き、毛虫の季節が来るなと考えていたら、何故か一輪、見事に咲いていた。

また、三年前の個展の時に頂いた蘭の花も、同じく今年再び咲いたのだ。この蘭は小さな流木に根付かせている、インテリアのような欄。頂いた時も可憐な花を咲かせていたが、その後は咲くことはなかった。

それが今年になり、また咲いたのだ。

僕には特別に映るその開花も、梅や蘭にとってはひょっとするとそれほど不思議なことではないのかもしれない。

結局は自然とはまた、日常とはそうしたものだろう。

でも人は特別な開花として彩り、そうした日常を愛でる事が出来る。

学生の頃、先生が「誤解と深読みは美術の面白さの一つだ」と言っていた事を思い出した。

今年の開花は、僕の誤解と深読みによって、彩り、愛でることにより特別な開花しているだけかもしれない。

そして、そうであったとしても良いじゃないか。

ニュータウン

「Sealed House 130-new town-」oil, metal powder on canvas, panel 970×1940mm 2020

ニュータウン

この土地に引っ越してきて、多くの遠足と呼べるような散歩を繰り返してきた。

郊外には広大な土地が、区画整理されて広がり続けている。

かつてそこにどんな風景が広がっていたのか、何がなくなったのかも分からない更地。

次にそこを訪れた時には、道路が走り、多くのシートで覆われた建物が立ち始めている。

そうして一つの街が出来上がっていく。

新しい街。

その向こうにかつての森は必要ないのだろうか。

映画「人生フルーツ」を思い出す。

「かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました・・・(人生フルーツ公式サイトより)」

仮囲いの街。

これから僕たちは何を捨て、何を忘れ、何を見て、何を求めていくのか。

津端修一さんと話してみたかった。