Shigeru Nishikawa

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Sealed House 121-New National Stadium 2- 970×1940mm oil, graphite, metal powder on canvas, panel 2020

信じつつ疑う。

個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」展示風景 撮影:鈴木一成

当初は三月のフェアと四月の個展にかけて東京に行く予定だったので、オラファー・エリアソン、ピーター・ドイグ、白髪一雄の展示を見る事をとても楽しみにしていた。

白髪一雄の作品からはキャンバスの大きさに対しての筆跡(足跡)の幅はどうかなどをみたりする。

これくらいの筆跡(足跡)の幅があればどう見えるのかとか。

キャンバスの大きさに対してのタッチの大きさ、どのくらいの手数が入っているかなど、とても注意深く眺める。

色を必要以上に混ぜ合わせないためには手数を減らす必要がある。

手数を減らすためには最短で最大の効果を持つタッチが必要となる。

削りつつ、増やすためにはどうしたらよいか。

増やすために、減らす。

そうして最短距離を模索するのだが、いつも気をつけている事はそうした最短距離が、必ずしも良い作品を作るわけではないという事。

良い制作はできるかもしれないが、良い制作が良い作品とは限らない。

信じつつ疑う。

矛盾ばかりだが、その矛盾を矛盾のままに受け入れる事が、大事なんじゃないかと最近よく思う。

群像図

個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」展示風景 撮影:鈴木一成
Sealed House 130-new town- oil, graphite, metal powder on canvas, panel 970×1940mm 2020

Sealed House 130-new town-は群像図が形になった作品で、近所の宅地開発現場を描いた作品です。

散歩をして、こうした建設中、解体中のシートで覆われた建物を写真に撮っているが、歩き慣れた土地であっても唐突に現れる更地にドキッとする事がある。

度々通っているのに、そしてこんなに大きな更地であるのに、前に何があったのかが思い出せないのだ。

そして直ぐに新しい住宅地なり、大型店舗なりに姿を変えていく。

そうして、かつてのその場所を忘れた事さえ忘れてしまい、その場所に馴染んでいく。

新しい街の記憶であり、かつての街の忘却。

簡単に更新されてしまう。

パンデミック

個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」展示風景 撮影:鈴木一成

今回の個展の作品について少しずつお話したいと思います。

メインの新国立競技場の事は個展のテキストに記しているので、それ以外の作品に関して。

基本的には自分で撮影した写真、つまり、当地(建設、解体現場)を訪れて撮影した写真が元となっている。が、全ての場所に行けるわけでもなく、また、様々な場所、時間でこうした建設と解体は絶え間無く行なわれているので、多くの方から情報をいただいたりもする。

お台場にある自由の女神が補修の為に覆われていると、作家の宮原野乃実さんから連絡があり、写真を送ってもらった。宮島の大鳥居はギャラリーアウトオブプレイスの野村さんから、写真家の多田ユウコさんが撮影した写真を見せて貰い、許可を得て使用させて頂いた。

自由が封印される。

聖域が封印される。

世界が今、直面しているこの状況下にピタリと当てはまるモチーフであり、それは新国立競技場の時にも感じた事だが、2020年がこのコロナ禍による未曾有の事態として記録、記憶されていき、その記憶はいつかは忘れられていく中で、描くべき、今残すべき対象ではないかと感じた。

然るべき時を得て、その自由も聖域も封印が解かれるであろうが、それはかつての自由や聖域と同じなのだろうかと、絵の具を載せながら問うていた。

僕はより良い未来を見ながら現実を描いていくのだと思う。

初日

個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」展示風景 撮影:鈴木一成

昨日、東京での個展「under construction or destruction 2020 Tokyo」@Gallery OUT of PLACE Tokio(3331 Arts Chiyoda 内)http://www.outofplace.jp が始まった。

このような状況下で個展を迎えるとは思いもよらなかったが、そのおかげで個展を開催する事が当たり前でない事や、伝える事の難しさと大切さを改めて痛感している。

作品の設置、個展の初日に立ち会えなかったのは初めてだったが、様々な方から感想や励ましの言葉が届き、また、思いがけない出会いもあり、在廊出来なかったにも関わらずとても感慨深い初日となった。

そして何より、展示や初日をギャラリーに安心して託せる事がとてもありがたい。

今後、無事に最終日までオープン出来るのかも正直わからないが、出来るだけ多くの方に今回の個展の空気を感じてもらいたい。

この展示は2020年東京オリンピックの直前に開催するために、ギャラリーと共に2,3年前から準備をしてきた。

個展に寄せたテキストにも書いたが、メイン作品のモチーフである隈研吾設計による建設途上の新国立競技場は、ザハ・ハディドの案が白紙となった上に立っており、シリーズ「Sealed House」の最たるモチーフであるからだ。

国立競技場以外にも、シートで覆われた自由の女神、宮島の大鳥居、ニュータウンなどの新しい試みも、まさにこの閉塞した状況とリンクする事となった。

オリンピックも来年に延期となるこの不安定な状況の中で、今回の展示が開催できたことが僕にとって意義深いことのように思う。

スタジオを掘り起こし、庭を整理する。

「Sealed House 126」 oil on canvas, panel 803×606mm 2020

友人の父が釣って調理した稚鮎の甘露煮を戴く。

裏に住む家主さんの家の木にたわわになったサクランボを収穫し、戴く。

転居した友人の家の庭になっている蕗をとり、戴く。

美味しい。

庭の草引きを行い、切り株の根を抜き、土を耕し、本格的に菜園(とても小さい)の準備をする。

スタジオを整理していると何年か前の紙の作品が出てきた。

exercise for spaceと題したそれらは、広大なアメリカの空間を捉えようとした試みであり、僕にとって正しく地道で大切なトレーニングのような物。

今も瑞々しく、目に映る。

こうした些細でささやかな始まりの仕事も出来る限り残していこうと思う。

そして新たに始めていこうとも思う。

畑の土を作り、油彩の下地を作る。

地味だけど大切な仕事。

これからやって来る暑い夏を超えて、秋へと向かう。